今まで書いた歴史物語をまとめてみました

 こんにちは。

このブログでは今まで、「現代の国際社会の出来事を世界史の知識に基づき理解する」というコンセプトのもと、「歴史物語」というシリーズ名でいくつかの記事を書いてきました。

ただ、その本数が増えてきた結果、せっかくこのブログを見に来てくれた方が、何処にどんな記事が書いてあるかわからないという状況になりつつあるようです。

以前も授業中に「南京大虐殺なんて存在しないって事は、ブログに書いておいたから!」と言ったら、「先生、どの記事ですか?」と聞かれてしまいました。

もちろん、これは私のタイトルをつけるセンスの無さが原因なのですが、ここらで、少し今までの「歴史物語シリーズ」をまとめようと思い、以下に内容毎にまとめてみました。

大きく分けると

1「何故、ヨーロッパがイスラムテロの標的になるのか」

2「何故、北朝鮮と韓国の経済格差が生まれ、北朝鮮がミサイルを撃つのか」

3「何故、中国は反日なのか」

この三つになります。

もしよろしければ、この記事に過去の記事もまとめておくので、ご覧になっていただければ幸いです。

 

 

何故、ヨーロッパでテロが起きるのか。何故、イスラム教徒がテロを起こすのか。それらを世界史の観点から解説した記事がこちらです。

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なんで北朝鮮がミサイルを撃ったりアメリカを挑発するのか。南北朝鮮の経済格差はどうして生まれたのか。それらを解説した記事がこちらになります。

 

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天安門事件の具体的な中身、即ち、中国共産党による大虐殺が行われた実態や、その結果、中国共産党は国民の目をそらすため、反日政策を推進した事。さらには、南京大虐殺なんて存在しない事を解説した記事がこちらです。

 

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中国の反日思想の原点が、実は紀元前の中華思想にあるよ!なんて事を解説した記事がこちらになります。

 

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大東亜戦争が侵略戦争?馬鹿おっしゃい! その4 〜アメリカは毛沢東のヒーローさ〜

こんにちは。

前回の記事では、ソ連が日米を対立させるためアメリカに多くのスパイを送り込み、ルーズベルト大統領を操り人形にした事を御紹介しました。


今回はどの様にルーズベルトが日本を戦争に追い込んだかを、中国を絡めて御説明したいと思います。


ルーズベルト反日政策の一つが、対日石油禁輸でした。当時の日本は年間で使用する石油のおよそ6割を、アメリカからの輸入に頼っていました。その日本に対し、アメリカはイギリス、オランダ、中国と協力して経済封鎖を行ったのみならず、独自に日本への石油輸出を禁止したのです。その背景として押さえておかなければいけないのが、日中戦争です。

当時、日本は支那事変、いわゆる日中戦争を戦っていました。なお、日中戦争という言葉は誤りです。日中両国共に宣戦布告しておらず、日中間の一連の武力衝突国際法上、戦争ではないのです。何故、両国共に宣戦布告しなかったのか。実は宣戦布告をしてしまうと、国際法上第三国からの援助を受けられなくなってしまいます。日本はアメリカと貿易をし、中国はドイツから武器援助を受けていました。両国共、外国の支援が無くなってはまずいと考え、宣戦布告しなかったわけです。こうして日中両国は、武力衝突を続けている間も外国から援助を得る事に成功しました。しかし、これは日本からしてみれば痛し痒しといったところでした。日本は中国との戦争など望んでおらず、なるべく短期間で和解する事を望んでいたのです。ここで少し、当時の中国の国内状況を御説明しましょう。

1912年に清が滅亡した後、中国はしばらくすると軍事政権が割拠する内戦状態となり、1928年に国民党と共産党の二大勢力が勝ち残りました。すると今度は、この二つの勢力が対立するわけですが、力の差は歴然で、圧倒的に国民党が有利でした。1934年には国民党の攻撃で本拠地である瑞金が陥落した共産党は、そこから中国西方の延安という街までおよそ12500㎞を、2年間かけて逃亡し、9割もの兵を失っています。この逃亡劇を長征と言います。当時の中国共産党はまさに、絶体絶命の状態だったわけです。ちなみに、中国共産党はこの長征の事を大西遷と呼び、毛沢東の偉大な業績としています。2年間ただただ逃げ続け、9割もの兵を失った事が、偉大な業績なのだそうです。もしかしたら、業績という言葉の意味が、日本語と中国語では異なるのかもしれませんね。

このように1936年の時点で、中国共産党中国国民党により消滅寸前まで追い詰められていました。この状況、以前何処かで見たことがありませんか?そうです。対ソ干渉戦争の時のロシアと同じなのです。追い詰められた共産主義者がやることは、資本主義者同士を対立させるという例の敗戦革命論です。

当時、中国東北地方の満州に日本が進出していました。この日本と中国国民党を戦わせ、その隙に中国共産党の勢力を拡大しようと、毛沢東は考えたわけです。

中国共産党が長征と呼ばれる2年間に及ぶ逃亡劇を終えたその1年後、1937年、日本と中国国民党が支配する中国政府との軍事境界線で、何者かが日本軍に発砲し、日中両国が武力衝突を起こす盧溝橋事件が勃発しました。もうおわかりですね。この盧溝橋事件は、中国共産党が仕組んだ罠だったのです。日本軍に向けて発砲し、それを中国国民党政府の仕業に見せかけたわけです。

こうして、日中が武力衝突を起こすと、アメリカは日本を支援すると同時に、中国も支援しました。もちろんこれは、対立を長期化させ日本も中国国民党も弱体化させようと考えた共産主義者が、フランクリンルーズベルトを通じて行わせたものでした。

中国大陸における不拡大方針を採る日本は、中国との武力衝突を望んでおらず、短期間で和解するつもりでした。しかし、中国共産党の策謀やアメリカによる中国への援助で、武力衝突は長期化してしまいます。当時、アメリカが中国に援助物資を送っていたルートの内、最大規模のものは仏印、いわゆるベトナムを通るルートでした。日本は何度も援助中止を要請しても了承しないアメリカに業を煮やし、仏印を支配していたフランス政府と交渉し、アメリカの援助ルートを閉鎖させる事に成功しました。中国が弱体化した隙を突き、武力衝突を終わらせようとしたわけです。しかし、アメリカは中国への援助を別ルートで続け、支那事変は長期化したのです。ただでさえ資源が乏しい日本にとって
支那事変の長期化は石油などの資源不足を招き、国民生活にも影響が及びます。このような資源不足の状態に陥りかけた日本に対し、致命傷ともいえたのが、前述したアメリカ、イギリス、オランダ、中国による経済封鎖だったのです。

本来でしたら、日本とアメリカは協力して共産主義拡大を食い止めるはずでした。ところが、アメリカはルーズベルト政権成立以降、日本に対し冷淡な態度をとり、共産主義拡大阻止にも協力を渋る始末です。その結果、日本はイタリアやドイツと共産主義拡大阻止を掲げる防共協定を締結し、これが1940年には日独伊三国軍事同盟に発展しました。するとアメリカは、この同盟をファシズムによる世界征服を目指すものだなどと言いがかりをつけ、前述の経済封鎖を発動させ、独自に日本への石油輸出を禁止したのです。

このアメリカの処置により、当然、日本は困窮します。その結果、石油資源を求めて東南アジアへと進出しました。資源が乏しい日本にとって、国民生活を守る為に必要な行動だったのです。もう御理解いただけたかと思いますが、日本を東南アジア進出へと追い詰めたのは、アメリカであり共産主義者であり、そして、大東亜戦争侵略戦争などではなく、日本という国家の存亡をかけた防衛戦争であったわけです。

残念ながら教科書には、そもそも大東亜戦争という記載すらなく、日本が起こした侵略戦争を大平洋戦争というなどと書かれています。しかし、私が今回の記事も含め一連のシリーズで書いた内容は、教科書に記載されている内容を繋ぎ合わせれば誰にでもわかる内容です。何故教科書はそれらの事実を曲解し、虚偽の内容を教えるのか。機会があればその辺の事情も書いてみようかなと思います。
長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

大東亜戦争が侵略戦争?馬鹿おっしゃい! その3 〜スパイ天国アメリカへようこそ〜

こんにちは。

前回は共産主義国であるソ連が、資本主義国同士を対立させようと考え、資本主義国の中でも日米の対立を画策したところまで御説明しました。

今回は、何故、ソ連が数多ある資本主義国の中で日本とアメリカを選んだのか。それを御説明したいと思います。


ヨーロッパ諸国は第一次世界大戦で弱体化しています。経済的にも疲弊し貧困層も増えた彼らは、むしろソ連にとって共産主義者を増やす格好の餌食でした。
そんなヨーロッパ諸国に対し、日本やアメリカは第一次世界大戦での被害が少なく、アメリカに至っては戦争中の武器輸出で経済が飛躍的に発展しています。また、どちらも国内で共産主義者を厳しく取り締まっており、ソ連にとってはこの2カ国を弱体化させる事が至上命題でした。

1929年、アメリカで世界恐慌が発生しました。これが、ソ連に付け入る隙を与えてしまいます。世界恐慌の結果、アメリカはそれまで以上に貧富の差が拡大し、共産主義が広まりやすい環境だったのです。

この様な状況下で、1933年に大統領に就任したのがフランクリンルーズベルトでした。結論から言えば、彼はソ連の操り人形でした。
これは1995年に明らかになった事ですが、フランクリンルーズベルトの側近のアルジャーヒスという人物がソ連のスパイで、彼を皮切りにルーズベルトの大統領スタッフや、ルーズベルトが所属していた民主党ソ連のスパイが大量に紛れ込んでいたのです。ちなみに、この事実を明らかにしたのはヴェノナ文書というアメリカの公文書ですが、これに関しては高校世界史を大きく逸脱する内容なので、詳細は割愛します。簡単に言ってしまえば、1943年から1980年までの間にアメリカで活動していたソ連のスパイが、本国に送信した暗号電文を解読したものです。これによると、大統領スタッフのみならず、財務省国務省、さらにはアメリカ軍や国連組織にまで、ソ連のスパイが蔓延っていたそうです。もはや、ホワイトハウスソ連に乗っ取られたと言っても過言ではないでしょう。何故、ソ連アメリカに大量のスパイを送り込んで影響下に置こうとしたのか。思い出して下さい。それは、アメリカと日本を戦わせる為でした。そして、アメリカを日本との戦争に導くのにうってつけの人物だったのが、フランクリンルーズベルトなのです。
1933年、大統領に就任したルーズベルトはその直後に、歴代の大統領が拒否していたソ連との国交樹立を認めます。このあたりからも、彼がソ連のスパイに操られていた事がわかりますね。
その一方で、祖父が中国との貿易を行っていたことから、根っからの親中派だったルーズベルトは、当時中国大陸に進出していた日本を目の敵とし、様々な反日政策を行います。そう、彼は大統領になる前から、反日思想に取り憑かれていたわけです。アメリカを日本と戦わせたいソ連にとって、これほど都合の良い人物はいません。


今回はここまでにし、次回はルーズベルトが如何に戦争を起こしたのか。そしていよいよ、大東亜戦争侵略戦争ではなく防衛戦争であった事を、御説明したいと思います。

大東亜戦争が侵略戦争?馬鹿おっしゃい! その2 〜共産主義者に踊らされる世界〜

こんにちは。

前回の記事では、大東亜戦争侵略戦争などでは断じてないという事を御理解いただくため、共産主義が如何に危険な思想であるかという事と、共産主義国家成立に焦った資本主義国が、対ソ干渉戦争をしかけ、失敗に終わった事を御説明しました。

今回は、第二次世界大戦の黒幕が、実は共産主義者であるという事を、御説明したいと思います。


対ソ干渉戦争は資本主義国に共産主義への恐怖心を植え付けると同時に、共産主義国にも資本主義国への恐怖心を植え付けます。


資本主義国による攻撃で壊滅的な打撃を受けたソ連は、資本主義国の結束力と、いざとなったら戦争も辞さない行動力に恐怖心を抱いたのです。そこでソ連が考え出した戦略は、資本主義国同士を戦わせ、互いに弱体化した隙を突いて世界に共産主義を広めるというものでした。これを敗戦革命論と言います。

第二次世界大戦が勃発したのは1939年です。では、1930年代の国際情勢はどうだったのか。簡単に言えば

資本主義国
共産主義国
ファシズム国家

の三つに分かれていました。と、教科書は書きます。しかし、これは共産主義者によって形成された国際情勢なのです。

一般的に、ファシズム全体主義と訳します。全体主義とは一言で言うと、個人の権利は全て全体の為に使われるべきだとする考え方です。少々話がずれますが、ファシズム国家と言われるイタリア、ドイツ、日本では一党独裁が確立され、ヒトラームッソリーニが政権の座から降りる事はありませんでした。しかし、日本では戦前戦中を問わず、幾度となく首相が交代しています。つまり、事実上の一党独裁でありながら、議会政治が機能していたのです。また、ドイツとイタリアの国内情勢も微妙に異なります。それをファシズム国家とまとめるのは無理があるのですが、それはまた別の機会に御説明しましょう。

話を戻します。結論から言えば、ファシズム共産主義によって産み出されたのです。
世界初のファシズム国家とはイタリアのムッソリーニ政権です。当時のイタリアは貧困層が多く、彼等を扇動した共産主義者の暴動が続発していました。この状況を打破すべく立ち上がったのがムッソリーニです。彼は共産主義者を倒す事がイタリアを強くすると主張し、国王もそれを受け入れ、ムッソリーニに国政を任せました。こうしてイタリアは、ムッソリーニを中心に共産主義打倒を目指して国民が団結するようになります。これを全体主義と言ったわけです。

さて、ファシズム国家は基本的には一党独裁です。国民が一つの目的に向け一致団結するのですから当然ですね。一党独裁の彼等は、民主主義、即ち複数政党制を掲げる国と対立します。こうして、民主主義国家である米英仏は、ファシズム国家の独日伊と対立関係となったのです。

このように第二次世界大戦ファシズム対反ファシズムと教えるのが一般的です。しかし、思い出して下さい。ファシズム国家も反ファシズム国家も、どちらも資本主義国なのです。ファシズム対反ファシズムとは、資本主義国同士の仲間割れに過ぎません。資本主義国同士が仲間割れをして一番得をするのは誰か。もちろん、共産主義国です。先ほど、イタリアでファシズムが産まれたのは共産主義者のせいだと書きましたね。もう御理解いただけたかと思います。第二次世界大戦は、共産主義国が資本主義国同士を戦わせ弱体化させるために起こしたのです。そして、資本主義国の中でも共産主義国が恐れていたのが、日本とアメリカでした。


今回はここまでにし、次回は大東亜戦争の背景について、特にアメリカが反日政策に舵を切った背景に共産主義者がいた点について、御説明したいと思います。

大東亜戦争が侵略戦争?馬鹿おっしゃい!

今さら当たり前の事を言うなと言われるかもしれませんが、結論から言えば、大東亜戦争自衛戦争であり、侵略戦争などではありません。

嘆かわしい事に、大東亜戦争侵略戦争だなどとおっしゃる方が未だに多いのが現状ですが、そういった方々の多くが、抽象的な表現を好まれるようです。例えば

「軍部が暴走して戦争に走った」

とよく聞きますが、
具体的にどう暴走したのか。 
そもそも暴走とはなにか。
莫大な国家予算を必要とする戦争行為に走る必要性があったのか。

疑問が止めどなく溢れてきます。そして最大の疑問は、侵略戦争だと主張する人々の多くが、もちろん実際は暴走などしていませんが、何故、軍部が暴走するに至ったのかという原因に言及しない点です。実はしたくても出来ないのでしょう。

大東亜戦争侵略戦争と主張する人々は、日本が悪者であり周辺諸国に迷惑をかけたのだから謝罪すべきだとする、自虐史観の持ち主です。つまり、戦争の原因は日本にあり、他国は日本の被害者だと考える。当たり前ですが、日本だけを見ていては歴史の全体像を把握する事は出来ません。各国の動きを俯瞰する事で、初めて歴史の流れが理解出来るのです。しかし、侵略戦争と主張する人々は日本だけを見て、日本だけに戦争の原因があるかのように主張する。彼らが感情的になる事が多く、具体的な話が出来ない原因がわかりますね。彼ら自身にも、戦争の原因がわからず、ただただ日本を悪者にしたいだけなのです。個人的な意見となりますが、過去の日本を否定し悪者にするという事は、自分の祖父母など御先祖様の生きた時代を否定し、御先祖様の人生を否定する事になると思います。自分の御先祖様を否定し悪者にするその神経、まったくもって理解出来ませんね。

前置きが長くなりましたが、今回は大東亜戦争侵略戦争ではなく防衛戦争であったという事を、高校世界史の知識から御説明したいと思います。あくまで高校世界史の知識ですから、高校を卒業された方は必ず知ってるはずです。それにもかかわらず、侵略戦争だと主張する方は、よほど学校の授業を聞いていなかったのでしょう。もしくは、学校の先生が己の思想に沿って、事実とは異なる事ばかり教えていたのかもしれませんね。

1917年、ロシア革命が勃発し、ロシアは共産主義国となりました。すると、共産主義国誕生に恐れを抱いた米英仏日の資本主義諸国は、共産主義政権打倒のためロシアを攻撃します。いわゆる対ソ干渉戦争の勃発です。この戦争でロシアは壊滅的打撃を受けましたが、かろうじて4カ国の撃退に成功しました。ですが、この戦争で資本主義諸国と共産主義国の対立は決定的なものになります。

ここで少し、共産主義という思想の危険性について御説明しておきましょう。彼らの根本思想の一つにマルクス主義があります。日本語で暴力革命と訳す場合が多いです。その名の通り、自らの目的は正しいものなので、その達成の為には全ての手段は合法化されると考え、暴力など非合法な手段も厭わないという危険思想です。

この危険思想を唱える共産主義者がついに国家を樹立した。これは資本主義諸国にとって容易ならざる事態です。そこで、それを倒そうとしたのが対ソ干渉戦争だったのですが、結果は失敗に終わりました。この戦争の後、ロシアは周辺国とソヴィエト社会主義共和国連邦、いわゆるソ連を結成しました。資本主義国は共産主義の拡大を抑える事は出来なかったのです。


長くなりますので今回はここまでにしたいと思います。

ホタテ戦争から紐解く英仏の歴史その2

こんにちは。

前回の記事では、フランス王の家臣であったノルマンディー公国の王がイギリスを征服するところまで、御説明しました。

今回はついに、英仏が実際に武力衝突を始め、その後両国の対立が19世紀まで続く事を、御説明したいと思います。


イギリス王となったノルマンディー公国の王は、もともと軍事力で優っていた事もあり、フランス王の指示を聞かなくなります。するとフランス王は、フランス国内の土地、即ちノルマンディー公国の返還を求めるようになりました。もちろん、イギリス王はそれを拒否し、フランス国内にもイギリス領が存在するようになってしまいました。これを、在仏英領といいます。以後、英仏はこの在仏英領を巡り対立していくのです。ですが、この時点ではイギリスの方が軍事的に優位だった事もあり、直接の武力衝突はあまり多くなく、あったとしても小規模なものでした。それが13世紀になると状況が変わります。
フランスがイギリスに対し劣勢だった理由の一つに、国内が統一されていなかった事があります。
イギリスはノルマンディー公国の王がイギリスを征服して成立した王朝なので、国王の権力が強く国内が統一されています。それに対し、フランスは国王の権力が弱く、国内が統一されていなかったのです。その結果、両国の軍事力はイギリスが圧倒的に優勢で、全面的な武力衝突には至らなかったわけです。
しかし、13世紀から14世紀にかけ、フランスは国王の権力が強大化し徐々に国内が統一されていきます。今までイギリスに逆立ちしても勝てなかったフランスが、勝てる可能性が出てきた。当然、フランスはイギリスに対し攻勢に出るようになります。そしてついに、百年戦争が勃発しました。

百年戦争というとジャンヌダルクを思い浮かべる方も多いでしょう。この戦争、野球の試合に例えるなら、9回の表までフランスは負け続けます。しかし、9回の裏にジャンヌダルクというピンチヒッターが現れ、逆転勝利を収めます。それもただの逆転勝利ではありません。カレーという港町を除き、在仏英領を全て取り戻したのです。

在仏英領をほぼ全て失った挙句、百年戦争終結から僅か2年後、イギリスでは内戦が勃発し、30年間続きます。その結果、イギリスは大幅に弱体化し、フランスとほぼ対等の国力になってしまいました。当然、イギリス人の間でフランスへの復讐心が高まります。

その後両国は対立を続け、18世紀にはアメリカ大陸やインドで植民地を巡って戦争を繰り返し、フランスはアメリカ大陸の植民地を全て失ってしまいます。それが一因となってフランス革命が勃発して事もあり、フランス人の間でもイギリスへの復讐心が高まり、両国の関係は極めて悪化しました。

しかし、19世紀になると、ロシアが地中海への南下政策を本格化させ、英仏両国の利権を脅かした事で、両国はロシアに対抗するため和解します。その後、19世紀の終わりにドイツが台頭し、アフリカや中東地域で英仏と対立するようになると、今度はドイツに対抗するため英仏両国は同盟を組むようになり、関係は改善されたわけです。

如何でしょうか。このように英仏両国は11世紀からおよそ800年間も対立していたのが、ロシアやドイツといった両国共通の敵が現れた事で和解したのです。言い方を変えれば、共通の敵と戦う為だけの和解ですから、その関係は決して盤石とは言えず、脆いものです。だから、ホタテを巡って争うなど、言い方は悪いですが情けない対立が起きるのでしょう。

最後に個人的な意見としては、ホタテからしてみれば不味いと評判のイギリス料理より、フランス料理の食材にされた方が幸せなのではないかなと思います・・

ホタテ戦争から紐解く英仏の歴史

こんにちは。

先日、ホタテ戦争勃発というニュースを見かけました。その名前からなんとなく牧歌的なものを想像していたのですが、実際にはイギリスとフランスの漁船が互いに放水やら体当たりやら投石を行うなど、武力衝突だったようです。

この記事をネットニュースやテレビで見たのですが、その際に「いつから英仏は敵対するようになったのか?」というコメントを散見しました。そこで今回は、歴史上、英仏が如何に敵対関係であったかを御説明したいと思います。

結論から言えば、英仏が友好関係というか和解したのは、19世紀に入ってからです。つまり、この200年ほどは友好関係でしたが、それ以前はずっと敵対していたわけです。

では、何が原因で敵対したのか。それはイギリスの建国事情に起因します。

元々イギリスには、ケルト人と呼ばれる人々が住んでいましたが、それをゲルマン人の一派であるアングロサクソン人が征服し、紆余曲折を経てイングランドを統一しました。これが9世紀のお話です。

その後、アングロサクソン人の王朝を同じくゲルマン人の一派であるノルマン人が征服し、現在のイギリスの礎を築きます。実はこのノルマン人が、英仏の対立の原因でもあるのです。

ノルマン人はスカンディナヴィア半島等に住み
、貿易や略奪行為で生計を立てていました。いわゆる海賊だったのです。彼らの事を入り江の民、バイキングと呼びました。余談ですが、日本で食べ放題の事をバイキングと言いますが、これは日本初の食べ放題レストランを開こうとしていた帝国ホテル社長が、ノルマン人を描いた映画「バイキング」を見て、彼らが豪快に食事をしている姿が食べ放題にぴったりだと考え、その名をレストランに付けた事が由来だそうです。

話を戻しましょう。
海賊行為を行っていたノルマン人達ですが、次第に人口が増え土地が足りなくなります。そこで、8〜9世紀にかけ、ヨーロッパ各地に移住するようになったのです。その移住先の一つに、フランスがありました。

フランスに移住したノルマン人達は、略奪行為を繰り返します。フランス王はなんとか彼等を撃退したいのですが、なんといっても相手は腕っぷしの強い海賊です。なかなか撃退出来ません。そこでフランス王はノルマン人に対し、家臣となる事を条件に国内の土地を与えると提案しました。懐柔策に出たわけです。ノルマン人達もこれを受けいれ、フランス国内にノルマンディー公国というノルマン人国家が建国されました。

11世紀になるとノルマンディー公国は、領土拡大を目指しイギリスに侵略しました。そして、
アングロサクソン人の国家を征服し、ノルマンディー公国の王がイギリス王となったわけです。

お気づきでしょうか。ノルマンディー公国はフランス国内に建国されたフランス王の家臣の国です。今の我々の感覚で言えば、都道府県だと考えるとよいでしょう。そのノルマンディー公国の王が、フランス王の家臣がイギリス王になった。都道府県の知事が他国の国家元首になるようなものです。そしてこれが、英仏対立を招くのです。


長くなりますので今回はここまでにし、次回は英仏間の戦争と、19世紀までの英仏関係の変遷について御説明したいと思います。