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歴史物語~大航海時代とイスラム世界~

こんにちは。

五月も半ばに差し掛かりつつありますね。先日、黄砂の影響か鼻をやられてしまい、せっかくの連休が台無しになってしまいました。仕方のない事ですが、やはり日本は大陸からの影響を受けているんだなと実感しました。

もっとも、西からの影響を受けるのは、我々だけではありません。

以前、

 

大航海時代イスラム過激派誕生の一因である。

 

と書きましたが、今回はそれについて、もう少し書いてみようかなと。少々長くなりますので分割して書きますが、結論から言えば

 

大航海時代イスラム圏の人々のヨーロッパ世界への憎悪を増幅させた

 

という事になります。

 いやいや、なんで新大陸発見とイスラム世界が関係あるんだ?と思うかもしれませんが、実は関係しているのです。

 結論から言えば、大航海時代のおかげで、インドや、現在のトルコの前身となったオスマン帝国が打撃を受けました。そしてそれが、ヨーロッパ世界への怒りを増幅させるわけです。では何故、新大陸発見に始まる大航海時代によって、インドやオスマン帝国が打撃を受けたのか。

 

 16世紀、大航海時代を迎えたヨーロッパは、アジア貿易や新大陸との貿易により商業が飛躍的に発展します。工業化も進み、社会全体で近代化が進んでいくわけです。それに対し、イスラム世界はどうだったのか。

 イスラム世界の東部、インドに位置するムガル帝国は、人口の大半を占めるヒンドゥー教徒を、イスラム教徒が支配していました。ヒンドゥー教徒の反乱を恐れたムガル皇帝は、税を免除する等徹底的な融和政策を採っていたため、両者の関係は良好でした。しかし、17世紀に入るとその関係が一変します。税収の減少やタージマハル建立で財政難となったムガル帝国は、ヒンドゥー教徒に対し課税をする事を宣言し、さらに、イスラム教への改宗を強制しました。これに、ヒンドゥー教徒が反発し、各地に独立国家を形成してムガル帝国に対抗したのです。こうしてインドは、ムガル帝国とその他のヒンドゥー教国家が対立する、分裂状態に陥ってしまったのです。ヨーロッパ諸国にとって、これは願ってもないチャンスでした。

 大航海時代のそもそもの目的は、東南アジアに進出し香辛料貿易の主導権を握る事でした。そんなヨーロッパ諸国にとってインドは、東南アジアへの中継地点としても重要だし、なんといってもその広大な領土と人口は、植民地としてうってつけです。そのインドが、イスラム教とヒンドゥー教の宗教対立により弱体化の一途を辿っている。ヨーロッパ諸国がこの機会を見逃すはずがありません。ポルトガルがインドに進出し、東南アジアへの中継地点として植民地を建設しました。 

 その後、弱体化したポルトガルに代わり、イギリスとフランスがインドの植民地化を目指し進出しました。そして度重なる戦争を経て、18世紀にはイギリスがフランスを駆逐し、インドを支配下に置きます。言い方を変えれば、キリスト教徒がイスラム教徒やヒンドゥー教徒を支配する国が誕生したわけです。

 その後のインドがどうなったかについては、後ほどご説明しますが、ヨーロッパ諸国にとって極めて価値が高い土地であったという事、イスラム教徒がキリスト教徒に支配される国家体制であったという事は、覚えておいてください。

 こうしてイスラム世界の東部に位置するインドが、大航海時代を契機にヨーロッパ諸国に蹂躙される一方、西部に位置するオスマン帝国はどの様な状況だったのか。これについては、次回以降書きたいと思います。

 ただ、今回の記事を読んでいただいただけでも、大航海時代以降、インドが悲惨な目にあった事がお分かり頂けたと思います。当然、インドではヨーロッパ世界への憎悪が高まったでしょう。これらの憎悪が、現代まで増幅された結果が、イスラム過激派の誕生につながるのです。以前も書きましたが

 「歴史とは現在につながる物語である」

という事を実感していただければ幸いです。