歴史物語~産業革命とイスラム世界~

 こんにちは。

 徐々に暑くなってきましたね。ついに我が家も、暑さに屈してクーラーをつけるようになってしまいました。まだ5月だというのに、春は何処に行ってしまったのでしょうか。機械に依存するようで情けないのですが、今回はその機械に関するお話です。(毎回強引な導入なのも情けないですね(苦笑))

 さて、前回までは

大航海時代イスラム過激派誕生の一因である。

 という観点で御説明してきましたが、今回はその続きです。前回の記事の最後で触れたように

産業革命イスラム世界に大打撃を与え、ヨーロッパ社会への恨みが増幅した。

 という観点で書いていこうと思います。

 なお、先日からヨーロッパ諸国がイスラム圏の人々に対して犯した罪について書いていますが、筆者はテロを肯定するつもりはありません。過去にいかなる事情があったとしても、暴力に訴える事は決して許されない事です。

 話を戻しましょう。

 産業革命は18世紀後半、イギリスで発生しました。結論から言います。これにより、イギリスは全世界に絶大な影響力を持つ世界一の大国へと成長したのです。そしてそれは、イスラム圏に暮らす人々にとって、悲劇の始まりでした。

 産業革命とは一言で言えば、機械の発明による大量生産の実現、です。18世紀後半、イギリスでは衣類等のインド産の綿織物が大流行していました。しかし、これに腹を立てた国内の商人達が、政府に働きかけてインドからの綿織物輸入を禁止させてしまったのです。しかし、綿織物を求める人々は諦めませんでした。輸入品が駄目なら、自分達で作ってしまおう。そう考えたのです。

 彼らは綿織物を大量生産するために、紡績機や機織り機を作りましたが、その過程で、蒸気機関が誕生します。実はこの蒸気機関の発明こそが、ヨーロッパがアジアなど他の地域に対し、優位に立つ事が出来た理由なのです。

 例えば、蒸気船や蒸気機関車の発明により、ヨーロッパ諸国はそれまでよりもはるかに多くの軍隊を、それまでよりも遥かに素早く移動させる事が可能になります。そしてその侵略の矛先は、アジアやアフリカに向けられました。いわゆる、帝国主義時代ですね。ですが、産業革命の恐ろしさは、こうした軍事的侵略だけではありません。相手国を内部から経済的に弱体化させ従属させるといった、経済的侵略の側面もあるのです。それを、今からインドとイギリスを例にとって説明したいと思います。

 蒸気機関の発明により大量生産が実現したイギリスは、国産の綿織物をインドを含め各国に輸出するようになります。何故でしょう。それは、綿織物の原材料である綿花を手に入れるためでした。インド産の綿織物というのは、職人の手作りです。当然品質は高いのですが、その代わり単価も高くなってしまいます。それに対し、イギリス産の綿織物は大量生産をしていますから、当然単価も安い。その結果、インドでもイギリス産綿織物は大流行し、インド産綿織物は売れなくなってしまいました。

 それまでインドは、綿織物を各国に輸出していましたが、安価なイギリス産綿織物の登場により、インド産綿織物は売れなくなってしまったのです。インド人の職人の多くが失業し、餓死者も大量発生したと言われています。

 こうして、綿織物の輸出という主要産業が崩壊してしまったインド経済は、大打撃を受けました。そこに、イギリスが綿花貿易を提案してきます。主要産業が崩壊したインドに、イギリスの提案を断る選択肢はありませんでした。その結果、インドは綿花の栽培が主要産業となり、イギリスはインドから綿花を輸入し、それを加工して綿織物を作り、それを各国に輸出するという貿易体制を確立します。当然ですが、この貿易体制によって利益をもたらされたのはイギリスだけでした。

 イギリスは利益を上げるため、綿花の値段をかなり低く設定しました。イギリス産綿織物が安価だった理由は、機械による大量生産だけではなく、原材料の安さにもあったのです。インドの職人達からしてみれば、働けど働けど利益は増えず、たまったもんではありません。もちろん、インド経済は回復せず、イギリスによって経済的に支配されてしまったのです。当時のインドの惨状を表す有名な言葉があります。

 「木綿織布工達の骨はインドの平原を白くしている」

インド人の間に多くの餓死者が発生した事を表すこの言葉からも、当時のインドの悲惨な状況がわかると思います。インドがこの様な状況に置かれた最大の原因は、なんといってもイギリスです。当然ですが、インド社会でイギリスに対する怒りや不満が高まっていくわけです。

 こうして、インドがイギリスの経済的支配下に入ったことで、イギリス経済は急成長を遂げました。そしてその矛先は、他のヨーロッパ諸国にも向けられます。

 19世紀当時、イギリスと他のヨーロッパ諸国との国力の差は歴然としていました。その結果、他のヨーロッパ諸国もイギリスによる市場化という、インドと同様の被害に遭います。安いイギリス製品が大量に流入した事で自国の製品が売れなくなり、多くの失業者を出したヨーロッパ諸国は、イギリスとの貿易に依存する経済体制となってしまいました。

 こうして、イギリスは各国を自国の市場とする事に成功したのですが、19世紀後半になると、各国でも産業革命が進行し、イギリスとの貿易に依存する体制から徐々に脱却していきます。その結果、ヨーロッパ諸国はイギリスにとって、魅力のある市場とは言い辛くなってしまったのです。

 しかし、イギリスは抜け目がありません。他のヨーロッパ諸国が産業革命を始め、自国の優位が揺らぐ事を予測していたイギリスは、ヨーロッパ諸国を市場にするのと同時に、1830年代からはヨーロッパ諸国に代わる新たな市場を求めるようになりました。もうなんとなく想像がつきますね。そうです。オスマン帝国が新たな市場として狙われたのです。


だいぶ長くなってしまったので、今回はここまでにしようと思います。

次回は、19世紀にオスマン帝国が、ヨーロッパ諸国に侵略されていく様子を、御紹介します。