不倫と政治家とルネサンス

こんにちは。
 
最近は芸能界も政治の世界も、不倫が一大ブームの様ですね。
シングルマザーを売りにする一方で不倫をし、見事に世間のシングルマザーの印象を悪化させてくれた与党議員。腹立たしい限りです。ところがその一方で、その与党議員の不倫を追及していた野党議員が、待機児童問題を提唱する裏で法を尊ぶべき弁護士と不倫に勤しむという、まさにカオス状態です。
 
まあ、政治家の質の低下というのは18〜19世紀のヨーロッパで既に問題化していた事なのですが、それにしても、昨今の日本の道徳観の欠如っぷりは、まったくもって目を覆うばかりです。何故、日本人の道徳観がここまで低下してしまったのか。その理由については、後日御説明しようと思っています。
 
今回は、特に不倫と関係しているかというと微妙なのですが、せっかくなので不倫をテーマに文化史の解説をしてみようかなと。
 
学生時代に世界史が得意だった人も、文化史は苦手だったのではないでしょうか。何故なら、流れが無いからです。
文化史は「作者」と「作品」を覚える。この繰り返しですから、単語を強制的に頭に焼き付けるという苦行の連続なのです。
しかし、文化史を理解するうえで大切な事は、
 
社会や時代の動きを把握する
 
これに尽きます。
 
例えば、中世ヨーロッパは完全なキリスト教社会です。人口のほぼ全てがキリスト教徒ですから、国王や将軍よりもローマ教皇が偉い。ローマ教皇の言う事には絶対服従キリスト教が唯一の価値観である。こんな時代です。そうすると、中世ヨーロッパの文学作品も、必然的にキリスト教の価値観を反映したものになります。
 
一例を挙げると、キリスト教では禁欲が美徳とされました。その結果、中世の文学作品に出てくる人間は、誰もが欲望を捨て去った完璧な人間として描かれる訳です。
どうでしょう?そんな人間がいる訳ないという事は、政治家の先生方が我々に教えてくれてますよね。
 
その後、中世ヨーロッパから近代ヨーロッパに移る過程で、宗教改革が起き、キリスト教中心の社会は否定される訳ですが、時系列をまとめると
 
中世ヨーロッパ=キリスト教中心の文化
近代ヨーロッパ=人間中心の文化
 
となります。
つまりは、中世と近代の間のルネサンスは、キリスト教中心の文化から、人間中心の文化に変わる過渡期の文化と言えます。
何が言いたいかというと、
 
ルネサンス期の文化は禁欲を否定する。つまりは、人間の欲望を描く。
 
という事です。
 
例えば、ペトラルカという詩人は『叙情詩集』という作品の中で、理想的な恋人ラウラへの愛を詠っています。つまり、愛という感情、すなわち欲望を詠っている訳です。
(ラウラが実在しないという説もあり、そうすると、妄想の中でつくりあげた恋人への愛を詠うという、かなり危ない人になってしまいますが・・)
 
ペトラルカを例にとりましたが、ルネサンス期の作品はキリスト教が否定していた人間の欲望を描く事で、中世ヨーロッパを否定する作品が多いのです。
この感情を描くという手法は近代ヨーロッパになると確立されて行き、ロマン主義へと発展していきます。
 
この様に、文化は社会の動きと連動しているという事を理解していれば、文化史を理解するのに役立つでしょう。