歴史物語 〜反日国家の作り方〜現代編その1 自分で自分の首を締めちゃったうっかり鄧小平

こんにちは。


  前回の記事で予告した通り、今回から歴史物語を再開させ、何故、中国が反日国家になったのか。これについて考察していきたいと思います。


  中国が反日国家になっていく過程は、「古代」「近現代」「現代」の三段階に分けられます。本来なら古代から説明すべきところですが、まずは現状を把握するという意味から、現代の中国について見ていきましょう。


  2017年現在、日中関係が良好であると考えている人は少数派でしょう。尖閣諸島を巡る対立など、日中両国の間には解決すべき問題が山積しています。また、スプラトリー諸島(南沙諸島)武力占領に端を発する、南シナ海における中国と東南アジア諸国の対立など、中国は周辺諸国との領土問題を数多く抱えているのです。

さらには、世界第2位の経済力を背景に、日本や各国の土地を買い漁る等、経済的侵略行為も盛んに行っています。


  これらの問題を知っている人は、中国は危険な軍事国家であるというイメージを抱くでしょう。


  しかし、30代以上の人は、子供の頃を思出してほしいのです。皆さんが子供の頃、中国は今の様な軍事大国、もしくは経済大国でしたでしょうか。違います。その昔、中国のイメージと言えば自転車でした。多くの人々が人民帽を被り自転車に乗っている。失礼ですが、豊かなイメージとは程遠い貧困国です。


  今の中国しか知らない人はにわかには信じられないかもしれませんが、1980年代の中国は貧しい国だったのです。それが今では世界第2位の経済大国です。驚くべき経済成長です。そして、その経済成長こそが、現在まで続く中国の反日政策の原因でもあるのです。


  一般的な教科書には1980年代の中国についてこの様に書いてあります。


  「鄧小平を中心とした指導部は一連の経済政策(社会主義市場経済)を実行したが、急激な改革に社会は動揺し、学生や労働者が民主化を求め天安門広場を占拠。これを政府が弾圧する天安門事件が発生した。」


  実はこの文章の中に、反日政策の原因が隠されています。「経済政策」と「天安門事件」です。


  鄧小平が進めた政策について、教科書は「政治は社会主義のままで経済のみ資本主義を取り入れた。」と説明する場合が多いです。


  これをわかりやすく言うと「政治は一党独裁を維持しつつ、日本やアメリカ等の西側諸国の企業を誘致しよう。」となります。


  当時の中国は、10年間続いた文化大革命と呼ばれる毛沢東の独裁政治のおかげで、国際的に孤立し経済も疲弊していました。その疲弊した経済を復興させるために、鄧小平は日本やアメリカを利用しようとしたのです。


  やり方は単純です。中国は人口が多いため人件費が安い。そこで、日本やアメリカの企業を誘致し中国に工場を建設してもらう。そうすれば、海外企業の資金で中国人民に賃金が支払われる。海外企業の資金で中国人民の生活が豊かになり、経済も活性化する。中国政府は労せず経済復興を果たせる夢の様な政策のはずでした。


  この鄧小平の政策は経済復興という意味では、大成功を収めました。1980年代のこの政策のおかげで、現在の経済発展の土台が形成されたのです。


  しかし、良い事ばかりではありません。


  鄧小平誘致して海外企業の大半は、日本やアメリカなどの西側諸国、即ち、民主主義国です。選挙権が全ての国民に与えられるのは当たり前で、いくつもの政党が存在する複数政党制も当たり前。言論の自由表現の自由も当然保証されている。それが民主主義国ですよね。それに対し、中華人民共和国は違います。共産党一党独裁で、一般国民には選挙権などありません。もちろん、言論の自由表現の自由など無縁な世界です。


  想像してみて下さい。その様な国に生きる中国人民が、日本やアメリカなどの民主主義国の企業に雇われ、民主主義国の人々と交流する。当然、中国人民に民主主義国の情報が伝わってしまいます。


  日本で生活している我々からすれば、複数政党制や選挙権など、まるで空気の様にあるのが当たり前の物だと思ってしまいます。しかし、中国は違います。


  中国は有史以来、独裁政治以外を経験した事の無い国です。1912年に清王朝が滅亡しますが、その後も軍閥、即ち軍事政権による独裁が続き、選挙や議会政治などとはほぼ無縁の歴史を歩んできた国なのです。その様な国の人民が、皇帝や特権階級の生活の糧として扱われてきた人民が、民主主義国の生活を知ってしまったらどうなるでしょう。当然、それを欲する訳です。


  この様に、海外企業を誘致するという鄧小平の政策は、共産党一党独裁を当たり前の事だと思っていた中国人民に民主主義国の様子を伝え、民主化運動を誘発させてしまったのです。そしてそれが、天安門事件という悲劇に発展してしまいます。


今回はここまでにし、次回は天安門事件について御説明しようと思います。