歴史物語 〜反日国家の作り方〜現代編その3 笑うゴルバチョフ

こんにちは。いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

前回はゴルバチョフが中国を訪れた事が、天安門事件の一因であるという事まで書いてきましたが、そもそも天安門とは一体何なのか。中国にとってどの様な存在なのか。今回はそこから御説明したいと思います。

 天安門を一言で言うと、中国政府にとってまさに聖地の様な存在です。

 紫禁城、即ち皇帝の住居の正門として15世紀の明の時代に造られ、17世紀の清の時代に、天安門という名前がつきました。歴代皇帝が法律の発表や軍隊の閲兵式を行い、1949年には毛沢東中華人民共和国建国宣言を行いました。実はここが重要なのです。

  歴代皇帝が重要な儀式を行った場所で建国された中華人民共和国。この事実をもって、中華人民共和国は自らを歴代中国王朝の正統な後継者と自認しているのです。そして、外国の首脳が中国を訪れた際には、この天安門広場で歓迎式典を開催する事で、自らの建国の正当性を主張しているのです。ここまでするという事は、よほど後ろめたい事情で建国されたのかもしれませんね。また、皇帝の住まいである紫禁城は、中華思想の中国人にとって世界の中心です。中国人の感覚では、その紫禁城天安門で外国の首脳を迎えるという事は、外国首脳が中国皇帝の軍門に下った事を意味するのです。そのため、天安門で歓迎式典を開く事が習わしになった訳です。日本人の感覚では理解し難いですね。

  話を戻しましょう。もちろん、ゴルバチョフが中国を訪問した際、鄧小平は天安門広場で歓迎式典を開くつもりでした。

  冷戦期、1956年のフルシチョフによるスターリン批判に毛沢東が反発した事をきっかけに、中国とソ連は対立関係となりました。1969年には武力衝突にまで発展しています。両国の間には大きな溝がありました。

  ところが、1979年に始まるアフガン侵攻でソ連の財政は破綻し、ゴルバチョフは軍事費削減のために中国との和解を決意したのです。

  想像してみて下さい。30年以上対立していた中国とソ連が和解する。そのためにゴルバチョフが北京を訪れる。これは世界的なニュースです。当然、全世界からマスコミが北京に殺到します。まさに歴史的瞬間なのです。また、中国人の感覚からすれば、敵対していた国の国家元首が北京を訪れる事は、自分達の勝利を意味する訳です。もちろん、鄧小平は天安門広場で歓迎式典を開くつもりでした。しかし、それは叶わぬ夢に終わります。
  ゴルバチョフが北京を訪れた5月15日の時点で、北京の街は50万人以上のデモ隊が闊歩し、商店や車を破壊するなど暴動を起こし、天安門も占拠されていたのです。とてもではありませんが、外国の首脳を迎え入れる体制が整えられているとは言えません。当然、天安門での歓迎式典を開く事は出来ず、中国共産党の面子は丸潰れになりました。ちなみに、ゴルバチョフは北京の治安が極度に悪化している状態であったにもかかわらず、帰国を早める事なく予定通りの日程をこなしたそうです。そうする事で、中国共産党の面子を完全に潰そうとしたのだとか。当時の政治家の駆け引きはお見事ですね。

  さて、面子を潰された鄧小平は怒り狂います。そしてついに、人民解放軍に対し、デモ隊への無差別発砲を命じるのです。

  今回はここまでにし、次回はいよいよ、天安門事件反日運動のつながりについて書きたいと思います。