歴史物語〜反日国家の作り方〜現代編その4 怒る鄧小平とお人好し日本人

  こんにちは。 


  2週間間が空いてしまいましたが、前回の記事では、ゴルバチョフが中国を訪問した際に、北京市内で暴れているデモ隊が天安門広場を占拠し、天安門広場で歓迎式典を開催出来なかったという事を御説明しました。今回はその結果、天安門事件が発生し、それがどの様な結果をもたらすのか。これを御説明していきます。


  天安門広場で歓迎式典を開けず、面子を潰された鄧小平は怒り狂いました。そしてついに、人民解放軍に対し、デモ隊への無差別発砲を命じるのです。
  

  皆さんの中には、国民を守るための軍隊が国民に発砲するなど信じられないと思う方が多いと思います。ここで勘違いしてはいけないのが、人民解放軍中華人民共和国の軍隊、即ち国軍ではなく、中国共産党の私兵に過ぎないという事です。つまり、人民解放軍が守るべきは国家や国民ではなく中国共産党なのです。一説によれば、人民解放軍の中には天安門において、赤ん坊を連れた若い女性を笑いながら射殺した者もいたそうです。もはや鬼畜です。


  その様な軍隊がデモ隊に襲いかかったのです。もはや、天安門広場はこの世の地獄と化しました。


  中国共産党が発表した市民の犠牲者数は319人ですが、この数字を信じる人はいないでしょう。アメリカの記録ではおよそ1000人、ソ連の記録ではおよそ3000人が虐殺されたとされています。また、10000人を超えるという説もあります。


  何故、この様に犠牲者の数が特定されないかというと、事件直後に中国共産党による徹底的な情報統制が行われたというのが一点。さらに、多くの遺体がその場で焼却されている事が、犠牲者数の特定を困難にしているのです。
この大虐殺に対し、当然日本を含めた各国は経済援助や貿易停止等の制裁を実施しました。しかし、すぐにその制裁を解除する国が現れます。悲しい事に日本です。


  日本は1990年、即ち天安門事件の翌年には対中経済援助ODAを再開してしまいます。当然、これには各国から批判が高まりました。しかし、日本は対中政策を改める事はありませんでした。むしろ、援助を拡大するなど、対中宥和政策を推進したのです。


  宥和政策とは、相手の要求を受け入れ友好関係を構築し平和を維持する事ですが、歴史上宥和政策が成功した例はほぼありません。例えば、イギリスの対ドイツ宥和政策はヒトラーを強大化させ、第二次世界大戦を招きました。韓国の太陽政策と呼ばれる対北朝鮮宥和政策も、北朝鮮による延坪島砲撃事件北朝鮮核武装を招きました。


  この様に宥和政策とは事態を悪化させる事がほとんどであり、この時の日本の宥和政策が成功か失敗かは、現在の中国の軍拡路線を考えれば結論は明白でしょう。


  では何故、日本は対中宥和政策を実施したのか。もちろん、日本の多くの政治家が中国共産党の利益供与を受けている事も大きな理由ですが、それ以上に、日本人の思考が性善説に立っている事が挙げられます。そしてその性善説こそが、現在中国や韓国が盛んに行なっている反日政策の原因なのです。


  今回はここまでにし、次回は性善説天安門事件反日政策に繋がる事を御説明しようと思います。