歴史物語〜反日国家の作り方〜 現代編その7 ドイツが仕掛けた日中戦争

  こんにちは。珍しく、2日連続で投稿します(^^;;


  前回の記事では、南京大虐殺が当時の南京の人口から考えてもでたらめだと御説明しました。その中で、当時の南京の人口を南京安全区国際委員会という組織が証明してくれると書きました。今回は、その南京安全区国際委員会がどの様な経緯で設置されたのか。それを御説明したいと思います。


  少し時代を遡りますが、1927年、蔣介石は軍事政権が割拠していた中国の統一を目指し、北伐と呼ばれる軍事遠征を始めます。

  

  こう書くと聞こえが良いのですが、実態は強盗殺人集団の大移動に過ぎません。蔣介石の軍隊は行く先々で、民間人を殺して財産を奪い、女性をレイプしていました。


  当時の中国には欧米諸国の民間人や日本人が多く住んでいましたが、彼らの身の安全を守る組織は何処にもありません。結果、欧米諸国は日本軍に民間人保護の為の出兵を依頼しました。しかし、日本軍も所在が不明の民間人を保護する事は困難だったのです。


  そこでその反省を踏まえ、1937年に上海で日中の武力衝突が発生すると、南京の外国人は南京安全区国際委員会を設置し、中国人を含む民間人を保護下に置き、日中両国に対し自分達を攻撃しない旨を約束させました。


  想像してみて下さい。戦争が始まったら、食料や日用品の調達は困難です。南京安全区国際委員会は食料確保の為にも、保護下の民間人の人数を正確に把握する必要があったのです。その南京安全区国際委員会が発表した約20万人という数字と、根拠不明な100万人とか50万人という数字のどちらが正しいか。言うまでもないですね。この人口という点一つ取っても、南京で日本軍が民間人を虐殺したなどという事が、事実無根の虚言であると御理解いただけると思います。


  ちなみに、南京で虐殺があったと主張しているのは、前回の記事で書いたティンパーリとマギーの他に、南京安全区国際委員会の委員長であるドイツ人のラーベも主張しています。しかし、当時の中国国民党政府を密かに軍事援助し、日本軍と戦うよう仕向けていたのがドイツであり、ラーベ自身、中国への武器輸出をしていたドイツのシーメンス車の社員ですから、彼の証言が中立性を欠き信用に値しないものである事は自明の理でしょう。また、彼等以外の南京安全区国際委員会のメンバーは、虐殺があったなどと聞いた事もないし見た事もないと証言しています。誰にも見られないように30万人も殺すとは、日本軍には忍者部隊でもあったのでしょう。


  様々な事例を挙げてきましたが、南京大虐殺が存在しないという事をお分かりいただけたと思います。そして、中国共産党がこの南京大虐殺というフィクションを武器に反日政策を行うきっかけとなったのが、天安門事件だったわけです。天安門事件の実態が民衆に発覚し革命が起きる事を恐れ、国民の目を外に向けるための生贄にされたのが日本だったのです。


  天安門事件反日政策の関係性を初めて知る方も多いと思いますが、実はこの様に、国内の結束強化の為に国民の目を外に向けるのは、古代から現代まで続く中国のお家芸とも言えます。
  長々と書いてきました「反日国家の作り方」ですが、とりあえず現代編をここまでにし、次回から古代編を書いていこうと思います。次回は、反日政策のルーツとも言える前8世紀から前3世紀の春秋戦国時代について御説明します。

  お付き合いいただき、ありがとうございました。