歴史物語〜反日国家の作り方〜 古代史編その4 バラバラになる中国と消えた儒教

こんにちは。

年明けから忙しく、ようやく今年初の投稿です・・・


前回は、漢王朝儒教を国民支配に利用したことで、およそ300年に及ぶ長期政権を実現した事を御説明しました。


今回はその儒教が一時的に衰退し、中国が分裂状態に陥る様を御説明します。いわゆる魏晋南北朝時代という分裂時代ですが、実はこの時代は、現在の反日国家中国への大きな転換点ともいえる重要な時代ともいえます。それをしっかりと覚えておいて下さい。


  およそ約300年に渡り儒教に基づき国民を支配した漢王朝は、3世紀に滅亡しました。この事は、それまで儒教を信奉していた中国国民に衝撃を与え、同時に儒教への不信感を抱かせました。当然ですよね。それまでは、儒教を信じていれば、言い方を変えると皇帝を敬っていれば世界は平和になる。漢王朝は国民にその様に説き、国民的もそう信じていたわけです。ところが、儒教を信奉していた漢王朝は滅亡してしまいました。国民は「なんだ、儒教を信じていても救われないじゃないか」と、儒教に不信感を抱くようになるのです。


  また、漢王朝は家臣によるクーデターで滅亡しました。目下の者が目上の者を倒すのがクーデターですよね。即ち、儒教の概念とは対極に位置するのがクーデターです。その様な方法で建国された王朝が、儒教の教えを広め「さあ皆さん、目上の人、即ち皇帝を敬いましょう!」などと言っても説得力のかけらもありません。こうして、儒教は国民の支持を失ったのです。

  漢王朝が滅亡した後、中国は三国志で有名な三国時代となります。その後、一時的に西晋という王朝が統一しますが、再び分裂し、いわゆる魏晋南北朝時代を迎えます。この時代の中国は悲惨でした。


  南北朝というくらいですから、南北に分割されたわけです。華北、即ち中国の北半分は異民族が支配し、華南、即ち南半分を漢民族が支配したと言われています。この南北分裂時代、華南は農業が発達し経済は安定しますが、約300年の間に6回も王朝が交代するなど短期政権が連続し、政治は安定しませんでした。また、経済の発展に伴い貧富の差が拡大していた挙句、皇帝や政治家達は権力闘争に明け暮れ、その資金を得る為、国民に重税を課します。ただでさえ貧富の差が拡大しているうえに重税を課される。たまったものではありません。


  一方、華北は異民族国家が乱立し、互いに争っていました。内戦状態にあったといって良いでしょう。当然、多くの農民が土地を失い、流浪の民と化しました。


  魏晋南北朝時代は3世紀から6世紀まで続きますが、華北でも華南でも庶民は虐げられていたわけです。歴史上、この様な状況では宗教が流行する事が多いです。虐げられた人々が救いを求め、宗教に走るわけです。当然、この時代も宗教が流行しますが、それは儒教ではありませんでした。人々は既に、儒教に見切りをつけていたのです。代わりに人々の間に広まったのが、仏教でした。


  仏教が中国に伝わったのは1世紀頃ですが、当時の中国は儒教による統治の真っ最中です。残念ながら、仏教が入り込む隙はなく、人々の間に広まる事はありませんでした。それが3世紀以降、儒教が国民の支持を失った事で台頭したわけです。それまで中国国家の精神的支柱であった儒教が衰退した事で、分裂状態に拍車がかかったとも言えます。


今回はここまでにし、次回は魏晋南北朝時代が後に中華思想が成立する一因となり、それと同時に儒教が復活する。そしてその二つが、現在の反日政策につながっていく流れを御説明したいと思います。