歴史物語〜反日国家の作り方〜 古代史編その7 センター試験と儒教と中国皇帝

こんにちは。

この時期は仕事がかなり忙しく、ブログをだいぶさぼってしまいました・・今日からまたほそぼそと再開しようと思うので、よろしければお付き合い下さい。


前回の記事で、唐の第2代皇帝太宗が、律令国家体制を構築した事で、政治が安定し国民の支持を得て、長期政権の礎を築く事に成功した事を御説明しました。今回はその律令国家体制に加え、唐が儒教国家としての側面を持っている事を御説明します。

律令国家体制を構築する一方で、太宗は国内の統一の為に、儒教を活用する事を思いつきました。繰り返しになりますが、目上の人を敬う儒教思想は、最終的に皇帝を敬う国民を育てる事になり、皇帝独裁の正当化に極めて都合が良いのです。

しかし、それには問題がありました。魏晋南北朝時代儒教は国民の支持を失っていたのです。儒教を信仰していた漢王朝の滅亡により、国民は儒教を見限り、仏教を信仰するようになっていました。その様な状況の儒教を、再び国民に信用させて普及させる。これは並大抵の事ではありません。

そこで太宗は、とてつもない奇策に打って出ました。それまで「宗教」として信仰されていた儒教を「学問」としたのです。

科挙という言葉を御存知でしょうか。隋の時代に始まった役人採用試験です。モンゴル人王朝である元の時代に一時的に中断されましたが、その後再開され、なんと20世紀初頭まで続きました。役人になる為の最初の試験であり、今でいうところの、大学入試センター試験をイメージしてもらえれば良いかなと思います。

太宗はなんと、儒教をこの科挙の受験必須科目にしたのです。そうなると当然、役人を目指す人間は皆、儒教を勉強しないといけない。しかし、科挙に必要なのは儒教の知識だけではなく、他にも多くの知識が必要です。そうすると、如何に効率的に儒教の知識を身につけるかが重要になってきます。その結果、ついには儒教の知識の要点をまとめた参考書まで作られるようになってしまい、儒教は完全に「学問化」してしまいました。 
この様に学問化した儒教を「儒学」と呼びます。日本では儒教とも言いますし儒学とも言いますが、意味はどちらも同じなわけです。
こうして科挙の受験必須科目となりさらに学問化された事で、儒教は知識人層を中心に、再び国民に浸透していきました。そして後述しますが、貿易を通じ庶民の間にも儒教思想が浸透するようになります。

こうして知識人層を中心に儒教思想を広め、皇帝への忠誠心を高める事に成功した太宗でしたが、国民の大多数を占める庶民も味方につけなければなりません。それには、経済を発展させる事が必要でした。そこで活用されたのが大運河なのです。

大運河により、唐は南北の経済圏が統一され、物流も活発化し経済が飛躍的に発展します。これにより庶民の生活水準も向上。政治も安定し経済も発展した事で、唐は国民の支持を得て長期政権となったわけです。しかし、経済発展に伴い外国との貿易が増していくにつれ、唐に再び、分裂の危機が迫ります。

今回はここまでにします。おそらく次回で、古代史編を終え、中世編に入ろうかなと思ってます。よろしければお付き合い下さい。