ニーチェと修学旅行とディスカッション

ニーチェという人物を御存知でしょうか?
19世紀のドイツが生んだ哲学者です。一時期、日本でもブームになりましたね。

数さえいれば一人一人はそんなにかわいくなくても良いという考え方のアイドルグループに属しているくせに、突如結婚宣言する目立ちたがり屋女性までもが、知的アピールをしたいのかニーチェ好きを公言していました。片腹痛いです。

さて、そんなニーチェですが、彼の代表的な思想に「超人思想」というものがあります。「超人」、読んで字の如く「人を超えた者」という意味です。ニーチェはこの超人こそが「理想の人間」であると考えました。では、超人とは具体的にはどういう人物か。
誰しもが欲望を持っていますね。普通の人の欲望とは、自らを満たす為の物です。
ニーチェは、他者の為に欲望を満たそうとする者こそが理想の人間であると考え、そういう人間を超人と呼んだのです。こう言うと、少しわかりにくいかもしれませんね。では、「欲望」を「権力」と置き換えてみましょう。会社の管理職でも政治家でも何でも良いです。権力を得た人間の多くは、その権力を自らの利益の為に使うでしょう。
しかし、超人は違います。超人も権力を求めますが、権力を手に入れた後はそれを他者の為に使う。それがニーチェの考えた理想の人間、即ち超人なのです。果たして、日本の政治家の中に超人が何人いるのでしょうか。不安ですね。

さて、前置きが長くなりましたが、今回はこのニーチェの超人思想を教育現場にも!というお話です。

当たり前ですが、生徒にとって学校の先生の権力とは凄まじいもので、それに逆らうにはそれこそ、盗んだバイクで走り、校舎の窓ガラスを割りまくった挙句、いけないお薬を飲んで他人の家の庭で生涯を終えると位の覚悟が無いと無理です。

私が中学生の頃、修学旅行で飛騨高山と上高地に行きました。神奈川県の中学は、一般的に修学旅行は京都に行きます。それに対し、もう一度言いますが、私の中学は飛騨高山と上高地です。
もちろん、岐阜県や長野県を悪く言うつもりは毛頭ありません。岐阜県橋本真也棚橋弘至の出身地ですし、長野県は部活の合宿で何度も行きました。ただ、京都に行く他校の友達が羨ましかったのです。

うる覚えですが、飛騨高山に泊まった後、上高地に移動しました。河童橋を渡り白樺荘に泊まったはずです。そこで何をしたのか。水質検査です。

もう一度言います。水質検査です。

中学3年生の修学旅行で、河童橋の下を流れる川で水質検査をしたのです。今考えると、意味がわかりません。
何故、修学旅行で水質検査をしたのか。真相は未だ不明ですが、一説によると当時の教頭先生が登山が大好きな探検家で、生徒に自然の大切さを学ばせたい、自然と触れ合いさせたいという考えから上高地で水質検査を行わせたとか。さらに、白樺荘の主人が教頭先生の探検家仲間だったのも、修学旅行先が上高地になった理由だとか。

個人的には楽しい旅行だったと思うのですが、このケースがまさに、権力が1人の人間の思考に基づき行使された良い例でしょう。

もう一つ例を出します。

私のカミさんは、私の出身地の隣の市出身です。その市では、中学1年の時に宿泊研修と称して、八ヶ岳に登るそうです。羨ましいです。星空の下、みんなで語り合う。水質検査とは雲泥の差です。

カミさんの中学ももちろん、八ヶ岳に行ったのですが、その時に、クラス毎にイベントを企画するらしいのです。  

各クラスで話し合い、例えば天体観測とか、肝試しとか、みんなで計画して楽しもう!という、中学生ならでは楽しそうな企画です。ここで大事なのは、生徒自らに立案や計画を任せるという事ですね。おそらく、先生方は生徒の自主性やクラスの協調性を高めようとしたのでしょう。

そんな他クラスに対し、カミさんのクラスでは話し合いが行われませんでした。先生がその持てる権力を行使し「我がクラスはディスカッションを行う!」と決定したようです。

凄いです。自主性も協調性も知ったことか!話し合い無用!とディスカッションに強制決定。しかもそのテーマは「無人島に持って行くなら何をもって行くか。その理由も含め考える」。意味がわかりません。

旅行先は八ヶ岳です。山梨県と長野県にまたがる山です。山に登り、他クラスが天体観測や肝試しを楽しんでいる横で、いくつかのグループに分かれ「無人島に何を持って行くか」を考える。楽しい訳がありません。しかもこのディスカッション、先生の判定がまた最高で、とあるグループが「無人島に◯◯を持って行きます!」と言うと、先生が「俺は◯◯が嫌いだ。だから不正解」と言ったそうです。もはやディスカッションでもなんでもなく、ただの先生の好きな物を当てよう大会です。

後でわかった事ですが、生徒に計画させ肝試しや天体観測になると、事故などが起きた時に面倒なので、屋内で安全なディスカッションになったとか。これもまさに、自己の為の権力利用でしょう。

この様に、権力を自らの為に利用するという行為は、我々の日常に満ち溢れているのです。だからこそ、ニーチェはそれとは真逆の人物を理想の人間としたのでしょう。私も是非、超人を目指したいものです。もっとも、個人事業主、即ちフリーランスの講師の私には、元から何の権力もありませんが・・