めぞん一刻と私

今回の記事は世界史とは何の関係もないです。というか、世界史とめぞん一刻を結びつけようとして諦めた記事です。
 
めぞん一刻にハマっている。いや、ハマっているというと軽い。やや病気気味かもしれない。

仙台で毎週行くサウナに、めぞん一刻(全15巻)が置いてある。なお、今回の記事はめぞん一刻をご存知ない方にはさっぱりわからないかもしれない。簡単に言えば、80年代を代表する恋愛漫画である。本来なら、めぞん一刻について詳細を説明すべきところだが、後述するように、あいにくまだ全巻読み終えていない。故に、筆者にめぞん一刻を説明する資格は無いと思う。なので、何故サウナに漫画があるのか。これをご存知ない方の為に簡単にご説明させていただく。

サウナ、この場合、カプセルホテル内のサウナとご理解いただきたいのだが、そこはおっさんのオアシスである 。
仕事等で疲れたおっさんがサウナと水風呂で交感神経をびんびんに刺激し、それこそ田原俊彦ばりにびんびんに刺激する事で、日常の疲れやストレスを消滅させるのだ。しかし、サウナや水風呂を繰り返すと脱水症状を起こす可能性もあり、十分な水分補給と休憩が必須なのである。その休憩のために、ほとんどのカプセルホテルやサウナでは、休憩室に多くの漫画が置いてあるのだ。

さて、話をめぞん一刻に戻す。筆者とめぞん一刻の出会いは、大学生の時だったと思う。地元のケーブルテレビでアニメを放送していたのだ。ただ、その時は学生ならではの不規則な生活をしていた事もあり、連続して見る事は出来ず、飛び飛びで見ていたので話がよくわからなかった。一例を出すなら、主人公の五代君がいつのまにか浪人から大学生となっていたほどだ。しかし、昭和を愛する筆者にとって、昭和50年代のあの世界観はなんとも魅力的で、心の何処かにずっと引っかかっていた作品だったのである。そんなめぞん一刻を、仙台のサウナで発見した。これは読むしかない!

一気に読むとよくない。そうだ、毎週1巻ずつ読もう。そう決めた筆者。4月下旬から1巻ずつ読み始めたのだが、6月初め頃から異変が、仕事に異変が生じ始めたのだ。

ここで簡単に、登場人物を紹介する。

五代=主人公。浪人時代からめぞん一刻というアパートに住む。管理人の響子さんに恋をしている。
響子=めぞん一刻の管理人。未亡人。主人公の2歳ほど歳上。
三鷹=響子の通うテニススクールのコーチ。やはり響子に恋をしている。

なお、上記は全15巻の内、10巻までしか読んでいない筆者の説明なので、不備はあるかと思うがご容赦いただきたい。また、ここから先のネタバレは絶対に止めていただきたい。まだ三鷹コーチが犬好きの令嬢とお見合いをしたところまでしか読んでいないので、そこから先のネタバレは絶対に止めていただきたい。  

さて、筆者にどの様な異変が生じたのか。それは、授業中に起きた。世界史講師の筆者。

「ここで教皇が・・」(教皇・・響子!めぞん一刻だ!)

「中国の五代十国時代ってのは・・」(五代十国・・五代裕作めぞん一刻だ!)

蝶野正洋がさあ・・」(蝶野は三鷹出身だな・・三鷹めぞん一刻だ!)

という風に、自身が授業中に発する言葉から、めぞん一刻を連想する様になってしまった。なお、世界史の授業中になんで蝶野正洋について語ったかは、企業秘密なので割愛させていただく。

とにかく、なにかにつけてめぞん一刻を連想する様になってしまったのだ。本来なら、今すぐにでも全巻を購入したい。しかし、本が溢れかえっている我が家において、新たな本の購入はカミさんが良い顔をしない。ましてや、世界史と何の関係も無いめぞん一刻の購入を、カミさんが認める可能性は低い。

「実はめぞん一刻を読む事で、アメリカ型資本主義の構造が理解出来るんだ!」
とか
めぞん一刻にはギリシア文学の要素があってね。」

なんて無理矢理世界史に結びつけたところで、おそらくカミさんは騙されない。ていうか、こんな嘘を信じたら頭がおかしい。
そこで、購入は諦め毎週サウナで読んでいたのだが、7巻あたりから泣けるシーンが増えてきたのだ。
涙腺の緩い筆者。ランボーインデペンデンスデイでも号泣してしまうほと涙腺の緩い筆者。カミさんからは「あんたは瞬間涙製造機だ!ティファール並みの瞬間涙製造機だ!」と罵られる始末だ。

そんな筆者の涙腺を、めぞん一刻は刺激するのである。これが自宅なら良い。しかし、筆者がめぞん一刻を読んでいるのは、サウナの休憩室だ。おっさんのオアシス、サウナの休憩室なのだ。まわりにはおっさんが満ち溢れている。そんな中、漫画を読んで涙を流す髭面の中年男性。当然、まわりのおっさんは驚き、不快感を覚えるかもしれない。まさに、オアシス崩壊である。

常識ある大人としては、周りの人に迷惑をかけてはいけない。ここはやはり、めぞん一刻を購入すべきだ!そう思い、昨夜カミさんに再度交渉した。結果は見事決裂である。オアシスの危機を訴える筆者に対し

「そんなオアシス枯れ果ててしまえ!」

と言い放ったカミさんに屈服した。
無念の涙を流した夜から一夜明け、その無念さをネットに叩きつけたのが今回の記事である。長文であり、まためぞん一刻を知らない方にはわけのわからない記事になってしまった事をお詫びしつつ、このままのペースだと夏期講習位にはめぞん一刻を読み終えてしまうが、それに怯えつつ、残り少ない前期の授業もめぞん一刻に心惑わされる事なく頑張ろうと、心に秘めた今日この頃なのだ。
(今日この頃・・響子!めぞん一刻だ!)