ホタテ戦争から紐解く英仏の歴史

こんにちは。

先日、ホタテ戦争勃発というニュースを見かけました。その名前からなんとなく牧歌的なものを想像していたのですが、実際にはイギリスとフランスの漁船が互いに放水やら体当たりやら投石を行うなど、武力衝突だったようです。

この記事をネットニュースやテレビで見たのですが、その際に「いつから英仏は敵対するようになったのか?」というコメントを散見しました。そこで今回は、歴史上、英仏が如何に敵対関係であったかを御説明したいと思います。

結論から言えば、英仏が友好関係というか和解したのは、19世紀に入ってからです。つまり、この200年ほどは友好関係でしたが、それ以前はずっと敵対していたわけです。

では、何が原因で敵対したのか。それはイギリスの建国事情に起因します。

元々イギリスには、ケルト人と呼ばれる人々が住んでいましたが、それをゲルマン人の一派であるアングロサクソン人が征服し、紆余曲折を経てイングランドを統一しました。これが9世紀のお話です。

その後、アングロサクソン人の王朝を同じくゲルマン人の一派であるノルマン人が征服し、現在のイギリスの礎を築きます。実はこのノルマン人が、英仏の対立の原因でもあるのです。

ノルマン人はスカンディナヴィア半島等に住み
、貿易や略奪行為で生計を立てていました。いわゆる海賊だったのです。彼らの事を入り江の民、バイキングと呼びました。余談ですが、日本で食べ放題の事をバイキングと言いますが、これは日本初の食べ放題レストランを開こうとしていた帝国ホテル社長が、ノルマン人を描いた映画「バイキング」を見て、彼らが豪快に食事をしている姿が食べ放題にぴったりだと考え、その名をレストランに付けた事が由来だそうです。

話を戻しましょう。
海賊行為を行っていたノルマン人達ですが、次第に人口が増え土地が足りなくなります。そこで、8〜9世紀にかけ、ヨーロッパ各地に移住するようになったのです。その移住先の一つに、フランスがありました。

フランスに移住したノルマン人達は、略奪行為を繰り返します。フランス王はなんとか彼等を撃退したいのですが、なんといっても相手は腕っぷしの強い海賊です。なかなか撃退出来ません。そこでフランス王はノルマン人に対し、家臣となる事を条件に国内の土地を与えると提案しました。懐柔策に出たわけです。ノルマン人達もこれを受けいれ、フランス国内にノルマンディー公国というノルマン人国家が建国されました。

11世紀になるとノルマンディー公国は、領土拡大を目指しイギリスに侵略しました。そして、
アングロサクソン人の国家を征服し、ノルマンディー公国の王がイギリス王となったわけです。

お気づきでしょうか。ノルマンディー公国はフランス国内に建国されたフランス王の家臣の国です。今の我々の感覚で言えば、都道府県だと考えるとよいでしょう。そのノルマンディー公国の王が、フランス王の家臣がイギリス王になった。都道府県の知事が他国の国家元首になるようなものです。そしてこれが、英仏対立を招くのです。


長くなりますので今回はここまでにし、次回は英仏間の戦争と、19世紀までの英仏関係の変遷について御説明したいと思います。