大東亜戦争が侵略戦争?馬鹿おっしゃい! その4 〜アメリカは毛沢東のヒーローさ〜

こんにちは。

前回の記事では、ソ連が日米を対立させるためアメリカに多くのスパイを送り込み、ルーズベルト大統領を操り人形にした事を御紹介しました。


今回はどの様にルーズベルトが日本を戦争に追い込んだかを、中国を絡めて御説明したいと思います。


ルーズベルト反日政策の一つが、対日石油禁輸でした。当時の日本は年間で使用する石油のおよそ6割を、アメリカからの輸入に頼っていました。その日本に対し、アメリカはイギリス、オランダ、中国と協力して経済封鎖を行ったのみならず、独自に日本への石油輸出を禁止したのです。その背景として押さえておかなければいけないのが、日中戦争です。

当時、日本は支那事変、いわゆる日中戦争を戦っていました。なお、日中戦争という言葉は誤りです。日中両国共に宣戦布告しておらず、日中間の一連の武力衝突国際法上、戦争ではないのです。何故、両国共に宣戦布告しなかったのか。実は宣戦布告をしてしまうと、国際法上第三国からの援助を受けられなくなってしまいます。日本はアメリカと貿易をし、中国はドイツから武器援助を受けていました。両国共、外国の支援が無くなってはまずいと考え、宣戦布告しなかったわけです。こうして日中両国は、武力衝突を続けている間も外国から援助を得る事に成功しました。しかし、これは日本からしてみれば痛し痒しといったところでした。日本は中国との戦争など望んでおらず、なるべく短期間で和解する事を望んでいたのです。ここで少し、当時の中国の国内状況を御説明しましょう。

1912年に清が滅亡した後、中国はしばらくすると軍事政権が割拠する内戦状態となり、1928年に国民党と共産党の二大勢力が勝ち残りました。すると今度は、この二つの勢力が対立するわけですが、力の差は歴然で、圧倒的に国民党が有利でした。1934年には国民党の攻撃で本拠地である瑞金が陥落した共産党は、そこから中国西方の延安という街までおよそ12500㎞を、2年間かけて逃亡し、9割もの兵を失っています。この逃亡劇を長征と言います。当時の中国共産党はまさに、絶体絶命の状態だったわけです。ちなみに、中国共産党はこの長征の事を大西遷と呼び、毛沢東の偉大な業績としています。2年間ただただ逃げ続け、9割もの兵を失った事が、偉大な業績なのだそうです。もしかしたら、業績という言葉の意味が、日本語と中国語では異なるのかもしれませんね。

このように1936年の時点で、中国共産党中国国民党により消滅寸前まで追い詰められていました。この状況、以前何処かで見たことがありませんか?そうです。対ソ干渉戦争の時のロシアと同じなのです。追い詰められた共産主義者がやることは、資本主義者同士を対立させるという例の敗戦革命論です。

当時、中国東北地方の満州に日本が進出していました。この日本と中国国民党を戦わせ、その隙に中国共産党の勢力を拡大しようと、毛沢東は考えたわけです。

中国共産党が長征と呼ばれる2年間に及ぶ逃亡劇を終えたその1年後、1937年、日本と中国国民党が支配する中国政府との軍事境界線で、何者かが日本軍に発砲し、日中両国が武力衝突を起こす盧溝橋事件が勃発しました。もうおわかりですね。この盧溝橋事件は、中国共産党が仕組んだ罠だったのです。日本軍に向けて発砲し、それを中国国民党政府の仕業に見せかけたわけです。

こうして、日中が武力衝突を起こすと、アメリカは日本を支援すると同時に、中国も支援しました。もちろんこれは、対立を長期化させ日本も中国国民党も弱体化させようと考えた共産主義者が、フランクリンルーズベルトを通じて行わせたものでした。

中国大陸における不拡大方針を採る日本は、中国との武力衝突を望んでおらず、短期間で和解するつもりでした。しかし、中国共産党の策謀やアメリカによる中国への援助で、武力衝突は長期化してしまいます。当時、アメリカが中国に援助物資を送っていたルートの内、最大規模のものは仏印、いわゆるベトナムを通るルートでした。日本は何度も援助中止を要請しても了承しないアメリカに業を煮やし、仏印を支配していたフランス政府と交渉し、アメリカの援助ルートを閉鎖させる事に成功しました。中国が弱体化した隙を突き、武力衝突を終わらせようとしたわけです。しかし、アメリカは中国への援助を別ルートで続け、支那事変は長期化したのです。ただでさえ資源が乏しい日本にとって
支那事変の長期化は石油などの資源不足を招き、国民生活にも影響が及びます。このような資源不足の状態に陥りかけた日本に対し、致命傷ともいえたのが、前述したアメリカ、イギリス、オランダ、中国による経済封鎖だったのです。

本来でしたら、日本とアメリカは協力して共産主義拡大を食い止めるはずでした。ところが、アメリカはルーズベルト政権成立以降、日本に対し冷淡な態度をとり、共産主義拡大阻止にも協力を渋る始末です。その結果、日本はイタリアやドイツと共産主義拡大阻止を掲げる防共協定を締結し、これが1940年には日独伊三国軍事同盟に発展しました。するとアメリカは、この同盟をファシズムによる世界征服を目指すものだなどと言いがかりをつけ、前述の経済封鎖を発動させ、独自に日本への石油輸出を禁止したのです。

このアメリカの処置により、当然、日本は困窮します。その結果、石油資源を求めて東南アジアへと進出しました。資源が乏しい日本にとって、国民生活を守る為に必要な行動だったのです。もう御理解いただけたかと思いますが、日本を東南アジア進出へと追い詰めたのは、アメリカであり共産主義者であり、そして、大東亜戦争侵略戦争などではなく、日本という国家の存亡をかけた防衛戦争であったわけです。

残念ながら教科書には、そもそも大東亜戦争という記載すらなく、日本が起こした侵略戦争を大平洋戦争というなどと書かれています。しかし、私が今回の記事も含め一連のシリーズで書いた内容は、教科書に記載されている内容を繋ぎ合わせれば誰にでもわかる内容です。何故教科書はそれらの事実を曲解し、虚偽の内容を教えるのか。機会があればその辺の事情も書いてみようかなと思います。
長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。